夢を見続けるということ

今日は珍しく、真面目なお話をさせて頂こうかと思います。普段のTwitter上での発言とは毛色が異なる部分もありますので、お気に召さないようなら無視して頂けると幸いです。



夢を見続けるということ。
「インターネット上では年齢も性別も肩書きも関係無い」という主旨の言論はよく見かけるが、ふと気が付くと「インターネット経由で知り合った、よくお会いする方々」というのは、割と同年代の方が多いということに気が付いた。生まれも育ちも違うが、それでも「世代」としてはよく似ている。趣味というか趣向というか、アニメであったり、ゲームであったり、そういったものを共通点として知り合っている以上、それは当然のことだとは思う。年齢を問わず語らえるような類のものではないのだから無理もないし、それに対して何か思うところがあるわけでもない。ただ、何となくではあるがそれを再認識したのが、たまたま今だったというだけの話だ。
同年代の方と話をすると、これまた必然的にではあるが、「同年代ゆえに共感できる悩み」というものに触れることになる。私を含めて、まぁ、それなりにいい年齢になった人間で、それなりに社会に迎合しつつ、しかしながらマジョリティであることを理解した人間というのは同じような認識/悩みを持っている。そして、それに向き合って、或いは折り合いを付けて生きていかなければならないのだと思う。その一つが、「いつまで夢を見続けるのか」なのだということをふと感じた。


私は自分のことを「オタク」であると呼称して良いのか自分でも判断に困る程度に、最近のアニメやゲームのことはよく判っていないし、一部の熱心な方ほどイベントなどに参加する人間でもないのだが、それでも去年あたりからはイベントに参加するようになった。今さら説明するまでもないと思うが、阿澄佳奈さんの出演されている作品関連のイベントである。今までイベントというか、共通の目的を持った集団が集まって熱狂する場というのに非常に抵抗を感じていて、積極的に参加したいと思う事は殆ど無かった。もともと集団行動が苦手だし、好きこのんで集団に入ろうとも思わない性格だというのもある。ただ、自分でも正直きっかけは判らないのだが、とにかく「一度行ってみよう」と思ったのが去年だった。そして、その一回で何というか、楽しさというか、癒しというか、救いを感じたことで二回目、三回目と参加するようになった。
三回目だった今日、阿澄佳奈さんの初舞台にして主演舞台である「ペルソナ3」の舞台を拝見し、これまた非常に楽しい一時を得ることができた。自分でも想像していた以上に、救われた。救われてしまった。そして、「救われた」と感じている自分に、衝激を受けた。


自分は、いつまでこの人を応援していられるんだろう。純粋な気持ちで、活躍を期待していられるんだろう。幸せを、願っていられるんだろう。


いわゆるアイドルになると、その人の私生活に対して一方的な衝動を覚える人が少なくないと聞く。例えば、週刊誌のスクープだとか熱愛報道だとか、そういったものに対して憤りを感じたり、或いは直接的な言動に出る人がいるという話は、それなりに目にしてきた。そういった意味では、私は別に私生活に対して何らかの感情を持っているわけではなく、ただ単純に応援したいという気持ちを持っているだけだと認識している。少なくとも、今はそうだ。だけど、それをいつまで続けられるのか。例えば応援している方が結婚したとき、例えば引退するとき、私は、それをどう受け止めるんだろうか。今はまだいい。今は応援できる。だが、これからもっと様々なイベントに参加するようになったとして、その考え方をずっと保っていけるのか。私は、自分の気持ちを信用できない。自分の気持ちが変わらないことを信じられない。それが酷く怖くなってきた。

これが、もっと若い頃だったら特に何も考えなかったと思う。長い人生の中で、何かに熱狂する時期があってもいい。ただ、自分の年齢を考えると、「自分は、いつまで夢を見続けられるのか」ということと真剣に向き合わなければいけないのだと、そうも思うのだ。

ある方から、こんなお話を聞いた。
「とある方のイベントで、ステージの近くではなく、やや離れた場所から、双眼鏡でその人だけを見つめ続け、微動だにしない壮年の男性がいた」
彼に家庭はあるのだろうか。彼は他に何を趣味にしているのだろうか。そういった事は何も判らないが、ただ、その場において彼は、ただひたすらに一人の人を見つめ続けていたらしい。私はその話を聞いて、きっと彼は夢を見続けていたのだと感じた。いや、正確に言うと「彼は夢を見続けなければ死んでしまうのだろう」と感じた。
例えば30歳、40歳、50歳になって、ひたすらにアイドルの追いかけをしていた人が、追いかけをやめて現実を見ることができるだろうか。50歳、周囲は皆結婚して子供もいる、下手をすれば孫がいるかもしれない。そんな世界に、アイドルだけを見続けていた人間が、正気を保ったまま帰って行けるんだろうか。多分、無理だ。彼は、夢を見続けたいという気持ちも持っているだろうが、それ以上に「夢を見続けるしかない」のではないかと、私は想像した。

若いアイドルを応援している熱心なファンが、そのアイドルの結婚でファンを辞めるということは、一見すると醜悪な行為にも思えるのだが、そのファン自身がまだ若いのであれば、それは一種の救済なのではないかと思う。強制的にではあるが、現実に帰ってこられたのだから。そして、これからは現実を見て生きていこうという動機付けをしてもらえたのだから。残酷ではあるけれど、それは救いだと思う。
だが、ファン自身がある程度の年齢であれば話は変わってくる。現実に帰れるのか。現実を直視できるのか。まだ大丈夫なのか。もう無理なのであれば、ファンを辞めることは、そのまま一種の死に繋がる。


言い方は悪いかもしれないが、「軽い気持ちで応援する」ということは、酷く大切なことだと思う。それだけを支えにして生きてはいけない。支えが無くなった時のことを考えると、「好きなことの一つ」でなければいけない。でももしも、本当にそれしか支えがないのであれば、いっそ死ぬまで夢を見続けないといけない。

私たちの世代は、そういうことを考えなければならない年齢なんだと思う。
このまま夢を見続けるのか、見続けて、死ぬまで夢の世界に在ることを願うのか。見続けて、見られなくなった時に死ぬのか。
夢を見ることをやめるのか。やめて、現実を見ることを選ぶのか。やめて、夢はどこまでも夢であり儚いものだと認識した上で、現実と向き合って生きていくのか。



せめて、悔いの無いように生き、悔いなく死にたい。
自分はどうするべきなのか、答えは、まだ出ない。